試論:なぜ日本は金余りのはずなのに、東芝半導体売却先の候補の「日米韓連合」に、「米」が入っているのか?

 

 

東芝半導体の売却交渉が進んでいる。売却先候補として名乗りを挙げた会社はいくつかいたが、今のところ 2 陣営に絞られつつあるように見える。その二陣営は以下の 2 陣営だ。

 

 

1:「日米韓連合」陣営

  • 産業革新機構 ・・・ 日本政府系投資ファンド
  • 日本政策投資銀行 ・・・ 日本政府系金融機関
  • ベインキャピタル ・・・ 米国投資(PE)ファンド
  • SKハイニックス ・・・ 韓国半導体メーカー

 

 

2:ウェスタンデジタル陣営

  • ウェスタンデジタル ・・・ 米国半導体メーカー
  • KKR ・・・ 米国投資(PE)ファンド

 

 

 

<以下は関連記事>


 

 

ここで気になるのは、どうして「日米韓連合」陣営に「米」が入っているのかということである。更に言うならば、どうして両陣営に米国PEファンドが入っていて、日本のPEファンドが入っていないのかということである。

 

 

「日米韓連合」陣営には、ベイン・キャピタル、そしてウェスタンデジタル陣営にはKKR、両方ともに米国の大型PEファンドが入っている。東芝半導体の売却額は2兆円以上とも目されており、それだけの資金を投資するとなると、このような投資ファンドの資金力が必要なのだろう。

 

 

ここで不思議に思えるのは、日本には投資資金がないわけではないということだ。

 

 

日本国内は、投資先がなく資金が余っている状態である。一方で、大型買収の為の資金調達の為、米国の投資ファンドが参加してきており、日本の(民間)ファンドは参加していない。

米国の投資ファンドに投資しているのは、主に米国の年金基金や保険会社等、米国の資金であり、日本国内の資金は一部あるにしても限定的だろう。

つまり、日本国内には投資先がない資金が余っているのにも関わらず、東芝半導体に投資する為の資金不足だから、米国の資金を使おうというのである。

 

なぜこのような状態になっているのか?

 

 

 

 

おそらく理由は、日本国内の(民間)PEファンドの規模が小さすぎるということだろう。

アドバンテッジ、ユニゾン等の日本のPEファンドで最大規模のファンドでも投資資金の規模が ~2000億円程度しかない。そのうち全部を一案件に投資することはリスクがあるので、分散して投資するならば、一件に投資できる金額はせいぜい数百億円だ。2兆円と言われる東芝半導体に投資するには1~2桁が違う。

一方で、ベイン、KKRといった米国の大型ファンドは(様々な種類のファンドを合計すると)~10兆円の資金を管理している。規模が違う。

 

 

では、なぜ日本のPEファンドの規模が小さいのだろうか? 

 

日本で投資先の資金は余っている。これらを全て使えば大きなファンドも組成できるはずである。なぜ日本のファンドはこんなに小さいのか?

 

 

 

それはおそらく、日本の投資ファンドはほとんどの場合日本国内のみに投資しているからである。

投資案件の多く、大型案件も多い北米、欧州と違い、日本国内には、PEファンドが投資できる案件が少なく、一件当たりの規模も小さい。

そして日本のPEファンドはほとんどが国内のみで投資をしている。

投資案件が少なく・小さい国内市場のみで投資をしようと思う限り、大きな金額を投資家から集めた大型ファンドを作ることはできない。大型ファンドでなければ、東芝半導体のような大型案件に関与することができない。

一方、ベイン、KKR等の米国のファンドは、そもそも国内市場の大きい米国を中心としている上に、グローバルに拠点をもっており、世界中の案件に投資が可能だ。このような舞台で活動をしている為、投資機会も多く、大型ファンドを作ることが可能になる。結果、今回のような案件にも参加できるのだ。

 

 

 

もし以上のことが正しいとして、「第二の東芝半導体」が現れた時に日本のPEファンドが一プレイヤーとして参加するにはどうしていることが必要か?

 

少なくとも米国に軸足を置いたファンドを作っていることが必要だろう。現在も、おそらくこれからも最大の市場である米国に確たる軸足を持つことにより、規模感のある投資が可能になる。それであれば大型ファンドの組成が可能になる。それで初めて東芝クラスの案件に参加できる。

今の日本の代表的なファンドのように、日本を中心として、ちょこちょこアジアに投資しているようでは規模がたかが知れており、次にまた東芝半導体のような案件が出てきても、結局は大型の米欧ファンドに市場を席捲されるだけだろう。

日本に本拠は持ちながら、米国に中心的な投資拠点を持ち、日本の投資家の低コストの資金を元手に米国で多くの買収を行い、米国内でも存在感がある。そういう状態になっていることが必要だろう。

そして、おそらくその為にはきっと中堅程度のPEファンド運営会社を買収することなども必要なのだろう。

 

 

飛躍だらけの文章を最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

 

 

すあま

 

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日本にある外国語表記が、外国人旅行者を楽しませている

 
海外旅行にいくと、変な日本語に出くわすことがある。
 
標識や看板、お菓子のパッケージ、レストランのメニュー等に日本語が書いてあったりすることがある。
それはそれで嬉しいものの、なかなか日本人には思いつかないような変な表現になっていることがいて、笑ってしまうこともしばしばある。そして、たまに妙に納得してしまうこともあったりする。
 
ああ、確かに「ソ」と「ン」って間違えやすいなとか、横書きでは「ソース」だけど、縦書きでは「ソ|ス」としないといけなくて、実は音を伸ばす文字の「-」は縦書きの時は「|」になるんだよな、とか。
 
海外の変な日本語を見ると、なんでネイティブ日本人に一度見てもらって直さないんだよ!と思いながらも、それはそれで海外旅行の面白い思い出になったりしていい。
 
 
 
 
 
ところで最近、日本に来ている観光客数はものすごく増えている。
 
観光庁によると、2016年の外国人観光客数は2400万人以上で過去最高、それも前年を20%も上回っているということだ。
もちろん、このような統計数字を見なくても、街中で見かける旅行者風の外国人や外国語を聞けば、観光客が増えているのは明らかに感じることができる。
 
 
 
そしてそのような外国人に対して色々な外国語表記がされている。
英語はもちろん、ハングル、簡体字中国、繁体字中国語、タイ語、インドネシア語等等。日本の外国人に対するおもてなしの一環といえるだろう。
駅で切符を買いにくいというような不満もまだあるようだが、とても外国人フレンドリーになりつつあるのでははないかと思う。こういう姿勢も外国人旅行者が増えている要因の一つだろう。
 
 
 
そしてこれらの外国語表記、実は外国人にとって変なもの、笑ってしまうものも結構あるようだ。海外の日本語表記もそうなんだから、日本の外国語表記もそうなのはある意味当然だ。
使用頻度の高い英語はあまりそういうことはないようだが、それ以外の言語は結構要注意なようだ。
 
 
 
 
以下に変な中国語表記として、中国のウェブで取り上げられていたものをいくつか紹介したい。
 
 
 

「お静かにご覧ください」→ 「静静请看」(訳:静静さん、見てください) 

 

「ジャンボ豚串」→ 「伟大猪肉串」(訳:偉大な豚串)  

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「椎茸肉詰」→ (訳:椎茸肉の最後の瀬戸際)  

 

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「親子丼」→ (訳:一杯のごはんの上に筋肉と卵を載せたもの) 
 

 

 
 
上記は、下の記事から引用させて頂いた。他にもいろいろな例が挙げられているが、結構楽しんでいるようだ。

 
 
 
それにしても、こういう翻訳はどのようにされているのだろうか?自社内でやっているのだろうか?外部に依頼しているのだろうか?
近くにいくらでもいるネイティブに確認してもらわないのだろうか?不思議だ。
 
 
ただ直さなくても、それはそれで外国人旅行者は楽しんでいるようだし、いいかもしれない。
 
 
 
すあま
 

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「ソフトバンクビジョンファンド」についての一考察

 
 
10兆円規模の資金規模のソフトバンクビジョンファンドが立ち上がった。
 
 

 
 
ものすごい規模だ。
 
 
単純に考えるならば、日本で時価総額最大のトヨタ(19兆円程度)の過半数の株式を買い、傘下に収めることすら可能な規模だ。
日経新聞によると、米国と中国のベンチャーファンドの合計(約8兆円)をさらに上回るという。
 
 
投資先はテクノロジー分野である。
資金の出し手は、運用者であるソフトバンク以外に、サウジアラビア・アブダビといった産油国、それ以外にもアップル、クアルコム、鴻海等と、華々しい。
 
 
 
 
少しだけ詳細に見てみる。
 
投資先は特に「米国の」テクノロジー関連企業である。孫社長は5兆円を米国に投資するとトランプ大統領に約束しているので、少なくとも半分は米国に投資されることになる。
 
そして、出資者は5割がサウジアラビア、3割がソフトバンク、1割がアブダビ、その他の企業はこのファンドの規模に比べると申し訳程度である。
 
このファンドは見方によっては、サウジアラビアから米国へのお金の流れをソフトバンクが仲介しているものとみることもできる。
 
 
 
 
 
このサウジアラビア→米国へのお金の流れに関してみてみると、ソフトバンクビジョンファンド以外にも似たような動きが最近他にもある。
  
  1. 米国インフラへの投資: 米大手投資ファンド大手ブラックストーンを通じて2兆円程度を投資する計画を発表
  2. 米国からの大量の武器購入:11兆円規模の武器を10年間で購入するということを発表。最大級の武器取引 (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170520-00000083-asahi-int
 
 
これらをソフトバンクビジョンファンドへの投資と合計すると、20兆円近くの資金がサウジアラビアから米国に流れることになる。
 
 
 
 
なぜこのようなことが起きているのだろうか? 
 
急に米国内への投資の旨味が増したのだろうか? 
 
可能性としてあるのが、トランプ政権・米国との「政治的な関係」の為にお金を出しているということだ。
トランプ大統領は米国内の雇用増を重視している。このトランプ大統領のいる米国との政治的な協力の為に、(経済的なリターンは度外視で)お金を出しているということだ。
実際に、トランプ大統領は、サウジアラビアの米国内への投資の話の後に、「(米国の)雇用、雇用、雇用」と言ったという。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170520-00050175-yom-int 
少なくともトランプ大統領側としては、米国内雇用確保の為にサウジアラビアにお金を出してもらっている意識である。
 
 
 
 
このように見ていると、まずトランプ政権が誕生することによって、何らかの政治的な理由から、サウジアラビアから米国にお金が流れる条件が生まれた。
 
孫社長はその流れをくみ取り、サウジアラビアから米国へ流れるお金の管理者としてのポジションを確保した。そのことで、今後の投資資金不足の問題を解消しようとした。
 
これが「ソフトバンクビジョンファンド」だ。このようなことなのだろうとみることが出来そうだ。
 
国際的な大きな資金の動きを俯瞰し、先読みした見事な動きだと思う。
 
 
 
 
 
一方確保した資金の投資先を見つけ、リターンを上げられるかどうかについては、結構難易度が高そうだ。
 
日経新聞によると、世界のベンチャーキャピタル二大市場である米中のベンチャーキャピタルの資金の規模は合計で8兆円、米国で4兆円。
これは、純粋に経済的に採算の合うかどうかという観点で見た場合に投資対象は合計8兆円、米国だけで4兆円しかないということだともとれる。
  
それを上回る10兆円の規模の資金を新たに投資するとなると、採算の合う投資先が足りなくなる可能性がある。採算の合わない会社や投資案件にも大量に投資をせざるを得なくなる可能性も少なくないのではないか。
 
投資先にまだ目星がついているわけでもなく、これから探していくようにも見えるが、大丈夫だろうか。
 
 
 
 
すあま
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【外国新聞中の昔の日本:1878年】日本の食事は最低!

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今は和食は欧米でも一つのジャンルとして確立しているように見え、一定層のファンはいるようだ。

 

しかし、最初に接した欧米の人にとって日本食は最低の食事だったようだ。

 

 

これは日本食のレベルが上がったのか、それとも欧米の人の舌が慣れたのか? 

興味深い論点である。

 

 

 

さて、下は、明治維新後の1878年にある英国人の新聞への寄稿である。日本食は滅茶苦茶に叩かれている。

それでも一部の旅行好きな欧米人は、現地の日本人と同じ食事をするべきだと主張したりしていたみたいだが、そういう旅行者は今でも居そうで面白い。

 

 

 日本の珍味

 

ある日本に住むバーミンガム出身の男はこう言った。

日本にいて最低なことといえば、それは食事だ。

本当にひどい、実際に有害とまで言える。食べられる食事を注文するには、しっかり指定しないといけない。

 

旅行者の中には、日本人がするのと同じようにすることを勧めるものもいるが、全く同意できない。

 

日本人と同じようにするというのはどういうことか。

 

それは床に敷いてある汚い二枚のマットの間で寝た後に、不快で、かつ家の全員と路上の人から丸見えの場所にある部屋の一角に行き、極端に薄い銅製のたらいに指をひたし、

 

(中略)

 

小さなカップで苦い茶を飲み、そして、彼らが塩漬けした梅というものを食べる。しかし、これは見た目も味も、数か月間古い酢につけられたピンク色の吸い取り紙にしか思えない。

 

朝食に出てくるものといえば、

数日前に調理されたぶよぶよした魚の乗った皿、

魚の目と尻尾が入って木の皮の切れ端が浮かんでいる温かい塩水、

何か茶色の小さな穴が開いているものと、生茄子の切り身、多くのねばねばしたもので覆われた多くの豆、奇妙な一塊の攻撃的な、カブの上の部分か、若しくは放置されたサワークラウト(注:ドイツのキャベツ漬物)のような野菜的物体が載せられたや皿

などである。

 

勿論冷えたご飯もお好みに応じて出てくる。

 

そして、一番確実に手に入るのはとても塩辛い乾燥魚か、味のない生魚のかけらである。

 

彼らはこれよりもいいものを出そうという考えがない。

 

全ての果物には塩が振られていていて、ジャムにさえも塩が振られている。そして水はまるで金魚鉢から汲んできたかのような味がする。

 

彼らはありとあらゆるひどい食べ物を出してくる。例えばカタツムリ、海藻、くさいキノコ等だ。

 

【出所】:The Dundee and Argus 紙(1878年1月14日)

【外国新聞中の昔の日本:1859年9月17日 英The Hereford Times紙】日本との貿易

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以下は、1859年9月17日の英国 The Hereford Times 紙に表れた日本と様子を描いた記録である。日米修好通商条約の翌年の記事である。

 

誰が書いたかわからないのが残念だが、文章からするに長崎に駐在している英国人の政府関係者で、長崎に着任したばかり、江戸幕府との交渉をしようと準備中の時のように思える。

 

なんとなく、今日本に旅行にきている欧米の旅行者も同じようなことを言いそうな気がしてきて、日本の様子や日本人の対応もなんだか今と変わらない気がしてきて興味深い。

 

 

以下が新聞記事の日本語訳:

日本との貿易 - 以下の文章は日本の長崎から届いた6月6日付の手紙からの抜粋である。

 

「私たちはこんなに遠くまで来ました。

最初の日本に対する日本の 印象は、とてもチャーミングだということです。この愛すべき、新鮮な景色はとても素晴らしいです。

海岸線から山の頂上まで、人の目を喜ばせるありとあらゆるものがここにあります。豊かな緑が生い茂っています。

生活費は安いです。雄牛が 7 ドルで、魚・卵・野菜はただです。家賃も高くありません。今のところ、彼らはお寺や僧侶の家を全ての欧州人に貸してくれています。

政府機関はとても紳士的で、私たちの要望をかなえる為にとても気を使ってくれているように見えます。

私たちはここ(注:長崎)に領事館を構えます。そして江戸に行き、条約を交換します。同時にサンプソンが他の人達を連れて函館に行きます。

      (後略)

 

 出所: The Hereford Times (1859年9月17日)

ころりころげた木の根っこ ー 新しい仕組みへ

 

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「まちぼうけ」という歌を聞いたことがある人は多いと思う。
 
「まちぼうけ まちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ そこに兎が飛んできて、ころり転げた木の根っこ~」

 



 

歌で歌っている話は、こういうものだ 
 
 
-- ある時一人の農夫の目の前を兎が勝手に走ってきて切り株にぶつかって倒れた。何の労力もなしに兎を手にすることが出来た農夫は喜び、農業をやめて切り株の前で待つことにした --

 

一度兎が取れたからといって、それは「まぐれ」であって、もう一度兎が取れるとは考えにくい。誰が見ても馬鹿だなと思う話だ。
 
 
 
この話はいったい何なのだろうか? 知っている方も多いとは思うが、元の話は中国の故事から来ている。
 
2000年前以上の中国で、韓非という学者が、「秦」の国の王様に政策を進言した時の例え話、「守株待兎」と呼ばれる話である。
 
 
当時の中国は戦国時代。今のように統一した国は存在してなく、複数の国が並び立ち、お互いに争っていた。
そして韓非は、「韓」の国の人。彼を招いた秦王はもちろん「秦」の国の人。それなので、韓非は秦の国からしてみれば外国人学者であった。
 
最近、日本の安倍首相がアメリカの経済学者のジョセフ・スティグリッツ教授やポール・クルーグマン教授を呼んで政策提言をしてもらったが、秦王が韓非に提言してもらったのはもしかするとこれに近いイメージではなかったかもしれない。
 
 
そして、その政策提言の中で韓非は、この誰が聞いても明らかに愚かな農夫の話をしたのである。
 
 
 
その意図は何か?
それは、古い時代の制度に回帰しようとする「徳治」を止め、新しい時代にあった制度である「法治」に思い切って舵を切れと、秦王の背中を押すことであった。 
 
 
話は少し離れるが、当時の中国において、一つの技術的ブレイクスルーがあり、その技術の普及で社会が大きく変化しつつあった。
 
その技術は何か?それは「製鉄技術」である。この技術によって、鉄を使った農具、例えば鉄の鍬や鉄の鋤が普及したのだ。
 
 
 
それまでは、農作業は石製や木製の農具で行っていた。銅(青銅)の農具も一部有りはしたが、高価な銅は誰でも使えるものではなかった。
 
石や木製の農具で農作業をするのは大変だった。その為に農業は多くの人が共同で行うものであり、農地も共同・国有のものだった。そして生まれながらの特権階級である貴族が土地を管理し、税収を得ていた。
 
 
 
鉄は技術的には銅よりも加工が難しいが、銅のような希少な貴金属でない為にコストがとても安い。一度製鉄技術が広まると、鉄製の農具は広く普及した。
 
鉄製農機具の普及により、農民の一人ひとりの生産性が一気に高まった。このことで、農民は国に頼らずとも、自分とその家族だけで独立しても農業を出来ることになった。
 
そして農民は国有の土地での本業はほどほどに、皆副業である私有地開拓に乗り出した。才覚のある農民はどんどんと開墾して農地を拡大し、富を蓄え、新興地主層として力をつけていった。
 
 
そうすると何が起きるか? 国有地からの収入が減少し、貴族層は困る。一方で実力をつけた地主層は貴族の様々な特権に不満が募る。今までうまくいった仕組みが色々とうまく回らなくなってきたように感じられてきた。
 
 
 
その状況に対してどうするか?そこで別々の解決策をとる二つのグループが出てきた。
 
一つ目は「徳治」派。
昔はよかったのに今がだめなのは、元々の仕組みが問題だったのではない。
問題は、元々の仕組みを「ちゃんと」していないことにある。昔からあった儀礼もちゃんとしていないし、何よりも支配者の「徳」が低下している。
昔みたいに儀礼をして、昔の聖人君子を倣って「徳」を取り戻せば解決するはずという考え方。この考えは既得権益層である貴族に支持された。
 
 
二つ目は「法治」派。
そもそも、もう昔の仕組みは通じない。貴族の特権なんかなくして新しい時代にあった社会の仕組みを作ろう。特に誰にでも明確で平等に適用される法律を作ろうという考え方。これは新興地主層に支持された。
そして、韓非は二つ目の「法治」派の代表的な学者だった。
 
 
 
 
 
「秦」の王様は「法治」にシンパシーを感じていた。
 
もしかすると後進国であるがゆえに、伝統へのこだわりが弱かったり、既得権益層の貴族も強くなかったこともあったかもしれない。
 
 
それでも決断の際には、秦王にはきっと迷いもあっただろう。昔からの伝統のある方法を捨てて、新しい制度を導入していいのだろうか。当然「法治」にも様々な弊害がある。それを指摘する人も多くいただろう。伝統を捨ててはいけないという人もいただろう。色々悩んだはずだ。
 
そんな中で、韓非を呼んだのだ。 
 
 
 
 
韓非はこの馬鹿な農夫の話で、秦王の背中を押した。
彼が言いたかったのはこういうことだ。
 
 
「既に時代は変わった。思い切って法治に舵を切れ!徳治なんていうものは、たまたま昔成功しただけで、今後うまくいくことはない。それにこだわるのは兎がまた切り株にぶつかるのを待っている馬鹿な農夫と同じだぞ」
 
 
 
 
最終的に秦王は法治に舵を切った。
 
 
 
秦は他の国よりも徹底的に「法治」を導入した。
貴族の特権はなくなった。公平な法律が導入された。
特権階級の貴族からの圧迫がない中で、新興地主層は全力で農業に取り組んだ。みるみる間に農業の収穫量は上がり、国は豊かになった。
 
そしてその強いな国力を背景に、辺境の後進国であった秦国は、中国を歴史上最初に統一するという偉業をなしとげたのである。
 
 
 
・・結構単純化しており、歴史に詳しい方からは色々指摘もされそうだが、これが「まちぼうけ」の歌の背景にあるストーリーである。
 
 
 
 
 
さて、
 
 
2000年以上前に、製鉄技術という技術のブレイクスルーがあったように、この数十年の間にも技術のブレイクスルーはあったように思える。
 
例えばこの20年間で進んだ、PC とインターネットの普及は、昔の鉄製農具の普及と同じ位のインパクトはあったかもしれない。
それ以外にも技術のブレイクスルーや、技術に止まらない大きな社会の変化は色々あったようにも思える。
 
 
一方、日本に目を当てると、日本が成長してきた 1980年代までというのは、この大きな変化の起きる前のことである。
 
今の日本の色々な仕組み、それは法律みたいな明らかなものもあるし、暗黙の了解みたいなものもある。それには色々軋みも見えてきているように思える。
これはそもそも、日本の仕組みが、昔の社会に合わせて作られているからではないだろうか?
 
 
仮にもしそうだとするならば、今の日本において、「徳治」派はいるか?それはいったいどこに戻ろうとしているのか?
 
そして、「法治」派はいるか?新しい何を目指そうというのか?
 
何が一体「貴族層」で、何が「新興地主層」なのか? 
 
「愚かな農夫」にならない為にはどうすればよいのか?
 
「秦」になるにはどうすればよいのか?
 
 
 
 
 
すあま

 

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