ころりころげた木の根っこ ー 新しい仕組みへ

 

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「まちぼうけ」という歌を聞いたことがある人は多いと思う。
 
「まちぼうけ まちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ そこに兎が飛んできて、ころり転げた木の根っこ~」

 



 

歌で歌っている話は、こういうものだ 
 
 
-- ある時一人の農夫の目の前を兎が勝手に走ってきて切り株にぶつかって倒れた。何の労力もなしに兎を手にすることが出来た農夫は喜び、農業をやめて切り株の前で待つことにした --

 

一度兎が取れたからといって、それは「まぐれ」であって、もう一度兎が取れるとは考えにくい。誰が見ても馬鹿だなと思う話だ。
 
 
 
この話はいったい何なのだろうか? 知っている方も多いとは思うが、元の話は中国の故事から来ている。
 
2000年前以上の中国で、韓非という学者が、「秦」の国の王様に政策を進言した時の例え話、「守株待兎」と呼ばれる話である。
 
 
当時の中国は戦国時代。今のように統一した国は存在してなく、複数の国が並び立ち、お互いに争っていた。
そして韓非は、「韓」の国の人。彼を招いた秦王はもちろん「秦」の国の人。それなので、韓非は秦の国からしてみれば外国人学者であった。
 
最近、日本の安倍首相がアメリカの経済学者のジョセフ・スティグリッツ教授やポール・クルーグマン教授を呼んで政策提言をしてもらったが、秦王が韓非に提言してもらったのはもしかするとこれに近いイメージではなかったかもしれない。
 
 
そして、その政策提言の中で韓非は、この誰が聞いても明らかに愚かな農夫の話をしたのである。
 
 
 
その意図は何か?
それは、古い時代の制度に回帰しようとする「徳治」を止め、新しい時代にあった制度である「法治」に思い切って舵を切れと、秦王の背中を押すことであった。 
 
 
話は少し離れるが、当時の中国において、一つの技術的ブレイクスルーがあり、その技術の普及で社会が大きく変化しつつあった。
 
その技術は何か?それは「製鉄技術」である。この技術によって、鉄を使った農具、例えば鉄の鍬や鉄の鋤が普及したのだ。
 
 
 
それまでは、農作業は石製や木製の農具で行っていた。銅(青銅)の農具も一部有りはしたが、高価な銅は誰でも使えるものではなかった。
 
石や木製の農具で農作業をするのは大変だった。その為に農業は多くの人が共同で行うものであり、農地も共同・国有のものだった。そして生まれながらの特権階級である貴族が土地を管理し、税収を得ていた。
 
 
 
鉄は技術的には銅よりも加工が難しいが、銅のような希少な貴金属でない為にコストがとても安い。一度製鉄技術が広まると、鉄製の農具は広く普及した。
 
鉄製農機具の普及により、農民の一人ひとりの生産性が一気に高まった。このことで、農民は国に頼らずとも、自分とその家族だけで独立しても農業を出来ることになった。
 
そして農民は国有の土地での本業はほどほどに、皆副業である私有地開拓に乗り出した。才覚のある農民はどんどんと開墾して農地を拡大し、富を蓄え、新興地主層として力をつけていった。
 
 
そうすると何が起きるか? 国有地からの収入が減少し、貴族層は困る。一方で実力をつけた地主層は貴族の様々な特権に不満が募る。今までうまくいった仕組みが色々とうまく回らなくなってきたように感じられてきた。
 
 
 
その状況に対してどうするか?そこで別々の解決策をとる二つのグループが出てきた。
 
一つ目は「徳治」派。
昔はよかったのに今がだめなのは、元々の仕組みが問題だったのではない。
問題は、元々の仕組みを「ちゃんと」していないことにある。昔からあった儀礼もちゃんとしていないし、何よりも支配者の「徳」が低下している。
昔みたいに儀礼をして、昔の聖人君子を倣って「徳」を取り戻せば解決するはずという考え方。この考えは既得権益層である貴族に支持された。
 
 
二つ目は「法治」派。
そもそも、もう昔の仕組みは通じない。貴族の特権なんかなくして新しい時代にあった社会の仕組みを作ろう。特に誰にでも明確で平等に適用される法律を作ろうという考え方。これは新興地主層に支持された。
そして、韓非は二つ目の「法治」派の代表的な学者だった。
 
 
 
 
 
「秦」の王様は「法治」にシンパシーを感じていた。
 
もしかすると後進国であるがゆえに、伝統へのこだわりが弱かったり、既得権益層の貴族も強くなかったこともあったかもしれない。
 
 
それでも決断の際には、秦王にはきっと迷いもあっただろう。昔からの伝統のある方法を捨てて、新しい制度を導入していいのだろうか。当然「法治」にも様々な弊害がある。それを指摘する人も多くいただろう。伝統を捨ててはいけないという人もいただろう。色々悩んだはずだ。
 
そんな中で、韓非を呼んだのだ。 
 
 
 
 
韓非はこの馬鹿な農夫の話で、秦王の背中を押した。
彼が言いたかったのはこういうことだ。
 
 
「既に時代は変わった。思い切って法治に舵を切れ!徳治なんていうものは、たまたま昔成功しただけで、今後うまくいくことはない。それにこだわるのは兎がまた切り株にぶつかるのを待っている馬鹿な農夫と同じだぞ」
 
 
 
 
最終的に秦王は法治に舵を切った。
 
 
 
秦は他の国よりも徹底的に「法治」を導入した。
貴族の特権はなくなった。公平な法律が導入された。
特権階級の貴族からの圧迫がない中で、新興地主層は全力で農業に取り組んだ。みるみる間に農業の収穫量は上がり、国は豊かになった。
 
そしてその強いな国力を背景に、辺境の後進国であった秦国は、中国を歴史上最初に統一するという偉業をなしとげたのである。
 
 
 
・・結構単純化しており、歴史に詳しい方からは色々指摘もされそうだが、これが「まちぼうけ」の歌の背景にあるストーリーである。
 
 
 
 
 
さて、
 
 
2000年以上前に、製鉄技術という技術のブレイクスルーがあったように、この数十年の間にも技術のブレイクスルーはあったように思える。
 
例えばこの20年間で進んだ、PC とインターネットの普及は、昔の鉄製農具の普及と同じ位のインパクトはあったかもしれない。
それ以外にも技術のブレイクスルーや、技術に止まらない大きな社会の変化は色々あったようにも思える。
 
 
一方、日本に目を当てると、日本が成長してきた 1980年代までというのは、この大きな変化の起きる前のことである。
 
今の日本の色々な仕組み、それは法律みたいな明らかなものもあるし、暗黙の了解みたいなものもある。それには色々軋みも見えてきているように思える。
これはそもそも、日本の仕組みが、昔の社会に合わせて作られているからではないだろうか?
 
 
仮にもしそうだとするならば、今の日本において、「徳治」派はいるか?それはいったいどこに戻ろうとしているのか?
 
そして、「法治」派はいるか?新しい何を目指そうというのか?
 
何が一体「貴族層」で、何が「新興地主層」なのか? 
 
「愚かな農夫」にならない為にはどうすればよいのか?
 
「秦」になるにはどうすればよいのか?
 
 
 
 
 
すあま

 

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